(スポーツ報知 2000年7月28日〜2001年3月30日連載記事より転載)

こんな子育て男の責任

@     2000.7.28 
 本格的な少子化の時代に入り、子育てへの援助が叫ばれ、男も子育てに参加しようという機運が高まっています。男が子育てに参加することは当然なのですが、この頃の風潮をみると、形式的な参加や、男本来の子育てを捨てて女々しく子供にすり寄ったりする姿が目に付きます。出産に立ち会ったり、妻の代わりに育児休業を取って主夫業をすることが『男の子育て』ではありません。仕事を休んで入園式や入学式に出席することは不要です。子を産み母乳を与えることは女にしかできないように、男には男にしかできない子育てがあるのです。妻や子を守り、子供たちに生きる希望や夢(ロマン)や力を与えるのが『男に子育て』です。妻を手助けするのではなく、主体的に取り組む子育てが21世紀に向けて求められているのです。
 「やさしいパパ」や「話のわかるパパ」だけではいけません。時には「頑固おやじ」「物分かりの悪い男」でなければ『男の子育て』はできません。
 子育てというと、幼児や小学生の時代だけを連想しがちですが、『男の子育て』は子供が自我に目覚めてくる中学生・高校生の時に本領を発揮するものです。援助交際や暴走族・チームなどに走る少年や少女たちにも親はいるのです。その親たちは子育てを見捨ててしまったとしか思えません。
 子どもが誕生したときから、しっかりと『男の子育て』をしていきましょう。男と女が愛し合った結果にできた子どもです。その愛の結晶を上手に育ててこそ、男が父親に、女が母親になれるのです。長い人類の歴史を背負って、この世に生を受けたのですから、きちんと親になり、きちんと祖父母になり、人類の歴史の一部分を担いたいものです。

A     2000.8.4
 夏休み真っ最中です。私は720日から82日まで、文部省の「子ども長期自然村」を実施した岩手県千厩(せんまや)町の黄金山キャンプ場で、小学生、中学生、高校生たち150人と1314日のキャンプをしてきました。自然の中で泥にまみれながら、炭を焼き、イワナを手づかみし、ニワトリを解体したりしました。
 子どもたちは生き生きとキャンプ生活を楽しんできました。中学生や高校生はたき火を囲み、夜中までしゃべり続けていました。時間にしばられることもなく、母親の小言もない、そんな体験が子供たちに活力を与えたようです。
 男の子育てというとすぐに家庭的なサービスを連想しがちです。休日は家族そろって遊び、家族みんなで外食する。しかし、父親と子供だけで外出することも大切なことです。子どもは毎日毎日繰り返される、こまごまとした母親の注意(子供からみれば、しょうもない小言)に辟易(へきえき)しています。そんな状態から解放してあげるのも父親の役目です。
 「散歩に行くぞ」と声をかければ子どもは喜んでついてきます。近くの公園で遊ぶのもよし。馬券を買いにつき合わせるもよし。途中のコンビニでアイスクリームを買って、歩きながら食べましょう。「ねえ、どこかに座って食べなくていいの?」とか「手を洗ってないよ」とか聞いてくるかもしれません。そんな時は堂々と言い切りましょう。「たまにはズルしてもいいんだよ・ちゃんとしなくちゃいけない時もあるけど、どっちでもいい時もいっぱいあるんだよ」
 子供を理解しようとしまいと、男は自分の考えを口に出しましょう。「小さなことは気にしない。右から左へ聞き流すことも大切なことさ」と。

B     2000.8.11
 もうすぐ旧暦のお盆です。子どもを連れて墓参りに行きましょう。墓をそうじして、手を合わせると、何か晴々とした気分になるのはなぜでしょうか。西暦2000年という年に自分がこの世に存在するのは、両親や祖父母をはじめとする祖先たちの脈々とし生活と歴史があったからです。そのことを無意識のうちに感じるから、すがすがしい気分になるのでしょう。「江戸時代に自分の祖先は何をしていたのだろうか」とか「戦国時代は」と考えると「人間ってすごいな」「今、自分が生きているのはとても大変で、不思議なことだ」と思います。
 墓まいりを機会に、祖父母や祖々父母の生きてきた時代や生き様を子供たちに話してあげてください。人類の歴史を直接子供に話してあげられるのは親だけなのですから。「お前のおじいちゃんは太平洋戦争でシンガポールやスマトラ島に行ったんだってよ。まだ日本が勝っている時だったんで、そんな苦労はしていなかったらしいけれど、暑くて大変だったらしいよ」とか「ひいばあちゃんは18歳の時に庄内地方から出てきて、酒屋をやっていたらしいよ」とか。そんな話をすることが子育てにはとても大切なことです。
 「産んでくれと言った覚えはない」とか「生まれてこなければよかった」とか言う青少年にしないためにも幼児期や小学生から人類の生きざまを話してあげてほしいものです。
 子供でも大人でも自分のルーツを知るのは楽しいもの。歴史の1コマ1コマに対する生々しい証言は、子供たちにドキドキした感動と生きることの面白さを教えてくれます。父親の少年時代や青年時代の話にも子供は目を輝かせます。そんな話を夏休み中にしてあげてほしいものです。

C     2000.8.18
小学生や中学生を持つ母親たちは、もう「夏休み」にうんざりしているころでしょう。学校の給食がないので昼食は作らなくてはならないし、暇を持て余した子供たちは、家の中でゴロゴロしたり「どっか連れてって」とせがんだりで、母親はパニックです。そんなとき、休みだからと家にいれば、女房の愚痴や八つ当たりに出会うのは目に見えています。
 三十六計逃げるにしかず。帽子とタオルを用意して、子供と一緒にサイクリングに出かけましょう。サイクリングといっても海や山へ行く必要はありません。近所をグルグルと探索するもよし。10~20`先に目標を見つけて出発するのもいいでしょう。小学校の低学年だったら1時間で5~6キロ、高学年だったら7~8キロの距離は楽に走れます。子どもを先に走らせ、後ろから指示を出します。「次の信号は右に曲がれ」「もっと端を走らないと危ないぞ」「こんな坂でへこたれるな」と。
 車がサーっと通っていた時には見過ごしていたものが見えてきます。見知らぬ地名、畑の野菜、道祖神、火の見やぐらなど。子どもはいろいろなことに興味を持ちます。そんな時こそ、父親を尊敬させるにはいい機会です。知っていることはたくさん教えてあげましょう。もしわからない質問だったら、帰りに図書館に寄って、一緒に調べましょう。辞典の引き方や図書館の使い方を学ばせるいいチャンスです。
 夏のサイクリングで注意しなければならないのは日射病と熱中症。最低1時間に1回は休憩しましょう。コンビニエンスストアに入って涼み、ジュースでも飲めば気力が戻ってきます。昼飯はラーメンとギョーザがいい。たっぷりと汗をかき夕方に戻れば女房の気分も直っていることでしょう。さあ風呂に入ってビールだ!

D     2000.8.25
 夏休みももうすぐ終わり。最後の土曜か日曜は銭湯に出かけてみませんか。子どもと一緒に風呂に入れるのは、たかだか10年。女の子だったら、6~7年しか一緒に入ってくれません。自宅で子供と一緒に入浴するのも大切ですが大きな湯船がある銭湯はとても気持ちがいいものです。顔見知りの隣人とおしゃべりしながら、ゆっくりと湯船につかる。
 子供はたくさんの裸にキョロキョロ。骨と皮ばかりにやせたじいさんや、すね毛も胸毛ももじゃもじゃのおっさんを見てビクビク。「お父さん。すごいよ。見て見て」と指さす先には、背中一面の昇り竜の入れ墨。世の中にはいろんな裸=体をもった人がいるのだと自然に認識するのです。
 東京都の銭湯の組合(東京都公衆浴場業環境衛生同業組合)は、そんなふれあい入浴をすすめるために、大人と一緒の幼児は2人まで無料としました。いいキャンペーンだと思います。
 湯船から上がったら、タオルにせっけんをいっぱいつけて、子供の体を洗ってあげましょう。「大きくなったな。赤ちゃんの時はこんなにちっちゃかったんだよ」「頭の髪もシャワーで流せるのか。赤ちゃんの時は抱っこして洗ってたんだぞ」と、いっぱい声をかけ、大きくなったことを一緒に喜びあいましょう。
 子供を洗い終わったら、せっけんのついたタオルを渡して「おい、お父さんの背中を洗ってくれ」。子どもは喜んで背中を洗い始めます。「もっと力を入れて」「真中ばかりじゃだめだぞ」幼児や小学生の低学年にとっては大変な力仕事です。しかし、その中でおやじの背中が大きく広いことを学びます。「親の背中を見て子は育つ」と言いますが、親の背中を洗うことによって父親の大きさを子供は学ぶのです。

E     2000.9.
今日から9月です。学校や幼稚園が始まり、いうものリズムが戻り、母親たちはホッとしていることでしょう。そして、9月1日は関東大震災があった日。防災の日です。このところ、伊豆諸島では連日のように地震が続いています。子育てで一番大切なことは子供たちの命を守ることです。乳児や2~3歳児の幼児は自分で命を守ることができません。地震や事故からわが子の生命を守ること、事故が起きないよう事前にチェックし、備えることは、男の責任です。
 ベビーベッドで寝ている赤ちゃんの上に棚から物が落ちてきたり、タンスが倒れてくる心配はありませんか?タンス、本棚、食器棚などには転倒防止の器具をつけましょう。金物屋や大工センターで手に入れいることができ、手軽につけることができます。
 赤ちゃんがハイハイを始めたり、歩きだしたりしたら、階段の上と下に柵を取り付けましょう。お父さんが日曜大工で作ってあげてください。転落は乳幼児には日常的に起こる事故です。
 風呂場の入口には、子供の手の届かない高さのところにかぎをつけましょう。乳幼児が洗濯機の中を覗けないように周りをかたずけ、踏み台になりそうなものを取り除きましょう。乳児は10aほどの深さの水でも溺れることがあります。薬、タバコ、洗剤などの誤飲も後を絶ちません。職場での安全管理と同じように家庭内での安全管理も重要な仕事なのです。
 乳幼児のいる家庭では、非常の際に持ち出すリュックサックを用意しておくことも大切です。紙おむつ、粉ミルク、ほ乳瓶、着替えなどを入れておけば、避難先でオロオロすることもないでしょう。どんな時でも、どんな状況でも、子供や家族の生命を守り切ることが、男の責任だと考えています。

F     2000.9.8
 2学期も始まり、僕が主宰するちっちゃな幼稚園「あそびの会」の朝も、またにぎやかになってきました。1学期は「おはよう」とあいさつしていた子どもたちも、「石川さん、おっはー」。手振りを付けて「おっはー」です。香取慎吾の「慎吾ママのおはロック」の影響です。「だんご3兄弟」とまではいかないかもしれませんが、この秋は幼児に大流行しそうです。母親たちは「ちゃんと『おはようございます』って言いなさい」と注意していますが、僕は全く気になりません。
 ちまたでは「あいさつできない子が多い」「今の若者や子供は礼儀や挨拶を知らない」などと言われてしまいますが、本当にそうでしょうか。中学生や高校生は、押しつけられた儀礼的な礼儀や形式的なあいさつに対して反抗します。もっともなことだと思います。子どもは純情だからこそ、本物のふれあいを求めているのです。
 あいさつの本質は礼儀ではありません。他人との言葉を通じた共感を求める行為なのです。父親は子供にあいさつを強要してはいけません。「僕は君(=子供)と言葉を通じて、ふれあい、共感したいんだ」と思いながら「おはよう」「ただいま」「おやすみ」などと言い続ければいいのです。幼児や小学生だったらすぐに、中学生や高校生は時間がかかるかもしれませんが、必ず、あいさつを返してくるようになります。ていねいに「おはようございます」である必要はありません。「おっはー」「ハーイ」「おす」「お」などなんでもいいのです。親子だから許される親密さとふれあいなのです。
 我が家の高校2年の息子は「おっ」と起きてきて、「じゃあ」と学校へ行き、「た」と言って帰ってきます。寝るときだけは省略しにくいらしく「おやすみ」と階段を上がっていきます。では来週まで「ごきげんよう」?

G     2000.9.15
 今日は敬老の日です。僕の住む800世帯の町会では80歳以上のお年寄りに長寿のお祝い品を贈るのですが、なんと140人もの方がいらっしゃるのです。本当に長寿社会・高齢化社会になったのだと感じます。
 親と子だけの核家族で生活している子供が多い中、お年寄りと一緒に3世代、4世代で暮らしている子供は幸せです。なぜなら、親から「早く食べなさい」「さっさとお風呂に入りなさい」「もっと素早くできないの!」などとどなられるからです。一緒に住んでいるお年寄りの手前、親たちはそんな暴言は吐けないのです。もし、そんな言葉がお年寄りに聞こえてしまったら「そうそう、私も早くしなくっちゃね。さっさと棺おけに入ればいいんでしょ」と皮肉を言われるのが落ちです。
 核家族での子育ては、どうしても大人中心のペースになりやすいのです。手早くどんどん仕事をこなし、無駄を省き、合理的に物事を進めていくことは職場では大切なことでしょう。しかし、子育てにそれを持ち込むのはやめにしたいものです。子どもが育っていくのには、たくさんの無駄・繰り返し・試行錯誤が必要なのです。お年寄りのゆっくりとした言動や、子供とじっくり付き合う余裕、子供をありのままに認める姿勢などを参考にしてほしいと思います。お年寄りと一緒に暮らしている子供は、他人を認める優しさが自然に育ちます。
 今日はお祝いの贈り物や食事会の前に、「お年寄りと一緒に過ごすと優しくなるんだって」と言って、お年寄りに半日、孫と遊んでいただいてはいかがでしょうか。人は誰でも、あてにされたり、責任を持たされたりするのはうれしいものです。お年寄りをもっと長生きさせるのに必要なのは、生きがいです。孫と遊ぶ時間をいっぱい作ってあげてほしいものです。

H     2000.9.22
 スポーツの秋です。そして、オリンピックの真っ最中。メダルを目指して日本選手は頑張っています。その活躍に目を見張り、希望をふくらませ、4年後、8年後のオリンピックを夢見て、子供たちも頑張っています。
 秋季大会や新人戦が始まり、日曜日ともなると、さまざまなスポーツ用品をもった小学生・中学生・高校生がゾロゾロと集団で移動している姿を目にします。朝は元気いっぱいですが、夕方は下を向いて黙々と歩いていることもあります。きっと試合で負けてしまったチームなのでしょう。
 今は小学生も野球・サッカー・バレーバスケなど、さまざまなスポーツに取り組み、お父さんコーチやママさんコーチも一生懸命です。休日に一緒に過ごすことは、どんなことでもいいのです。まして、体を思いきり動かし、汗にまみれるスポーツを、親子で共有できるのは素晴らしいことだと思います。体を動かすことが苦手な子が増えている現在、スポーツ好きの子供を持ったことに感謝しなければなりません。
 小学生の時は親が応援に来るのをうれしがっていても、中学・高校へと進むと「応援に来なくていいよ」「うるさいから来るな」などと言い始めます。自我が確立してきた証拠です。だからと言って見に行かないというのは男の責任の放棄です。応援の仕方は変えなければなりません。「頑張れ!」とか「ファイト!」などという声援は中高生にとっては「ウザい」のです。声を出さず黙って試合を見て、そっと帰りましょう。
 試合後の感想も「おしかったな」「いい試合だった」など簡単なものに止め、個々のプレーに対して論評してはいけません。黙って見守り続ける行為こそが、子供の生き方とプライドを認めることになります。それが男の子育てです。

I     2000.9.29
 今週から、乳児や幼児を持つ男の責任の話をします。赤ん坊が生まれてからしばらくは、男の出番はほとんどないでしょう。里帰り出産が大半で、赤ん坊は女房の実家にいることが多く、新生児の風呂の入り方を習っても機会がないのが現状です。
 女房が実家にいるうちは独身生活を楽しむのもいいでしょう。しかし「子を産む」という大事業を成し遂げた女房へのいたわりと愛は忘れてはいけません。赤ん坊に「お前の父親は俺だぞ」と教えるために、抱っこすることと、声をかけることだけを心掛けるのが男の子育てです。
 さて生後5か月ごろから離乳食というものが始まります。普段の日は女房がスプーンで「はい、あーんして」と言いながら、発達に合わせた適量をきれいに食べさせているはずです。しかし、休日は男の出番です。離乳食の食べさせ方も、男と女とでは違うのです。いつもの倍の量の離乳食を作らせます。赤ん坊の座る場所の下に、新聞紙を敷きつめ、スプーンを2本用意します。1本を赤ん坊の右手に握らせて「いただきます」。自分の手で食べ物を口に運ばせるのです。
 もちろん、うまくいくはずはありません。顔中ベトベトになり、口に入らないので、赤ん坊はじれてくるでしょう。そんな時はもう一本のスプーンで父親が口に入れてあげるのです。赤ん坊はスプーンを放り出して、手で食べ始めるかもしれません。それが大事なのです。女の人は汚れるのを嫌いますが、気にする必要はありません。後で一緒に入浴すればいいのです。
 離乳食は手と口の連係動作を学ぶことでもあるのです。口を開けて待つ子にするか、自分の手で食べる子に育てるか、男の生き方がこんなところでも問われるのです。

J     2000.10.6
 秋まっさかりです。夏の間、赤ん坊を抱っこするのは暑さが倍増するような感じでしたが、この頃は過ごしやすい日々のせいか、抱っこもおんぶも楽しい気分です。
 秋の休日、男の子育ては散歩から始まります。ベビーカーに乗せて出発です。近くの公園へ行きましょう。途中、木々の間から漏れる秋の日差しやほおをなでる秋風などの一つ一つが赤ん坊にとっては大切な経験なのです。
 公園に着いたら、抱っこして、幼児が遊んでいるところを見せてあげましょう。ハイハイができるなら下に降ろしてあげてください。少しぐらい汚れるのは気にしないことです。汚れるよりも、地面をハイハイすることの方が発達に必要なことなのです。
 おんぶや肩車もしてあげましょう。特に肩車は、子供の視点が高くなるので「高い高い」と同じように、とても喜びます。まだしゃべることのできない赤ん坊でも、幼児たちの声に聞き耳をたて、子供たちが遊んでいる姿に目を輝かせているのがわかるはずです。
 家でも体を触れ合うような遊びをたくさんしてあげたいものです。お父さんがお馬さんになって子供を乗せてハイハイする。昔の父親ならだれもがやった遊びです。人間は誰でも、楽しい気分で肌を触れ合わせると、満たされ、落ち着くものなのです。
 赤ん坊や幼児は、日々の母親との触れ合いの中で、女の人の柔らかい肉体を意識していきます。父親が遊びの中でゴツゴツと強い肉体を触れ合わせなければ、子供はそれを認識する機会がないのです。五感の中の触覚をいかに発達させるかも、男が子供とどう遊ぶかにかかっているのです。

K     2000.10.13
 めっきり秋らしくなりました。今日は幼児の洗髪の仕方の話です。赤ん坊の時は、一緒に入浴するようになっても、耳や目に入らないように、あお向けに抱っこして洗髪します。この方法は新生児の入浴方法の延長です。母親はこれが正しいと信じているので、子供が2歳になっても3歳になっても、同じように洗髪してしまいます。女性がカットやパーマで通う美容室での洗髪は、ほとんどがこのあお向け方法だからでしょうか。
 しかし、この方法だけで髪を洗っている子供は、顔に水がかかることを嫌がる傾向が強いようです。水遊びやプール保育で泣いてしまうこの大半が、この方法で洗髪しているようです。
 そんなことにならないように、父親が子供と一緒に風呂に入り、頭を洗ってあげましょう。2回目や3回目は嫌がるかもしれませんが、すぐに慣れてしまいます。
 男のやり方の洗髪はまず、湯船から上がったら、鏡の前に子供を座らせ、頭髪を濡らします。シャンプーで髪を泡立てます。「さあ、ウサギさんになるよ」「今日はウルトラマンになろう」泡立てた髪の毛でウサギやウルトラマンの髪形にします。子どもは鏡に映った姿を見て、とても喜びます。さっと、お湯をおけで3回かけて、髪の毛をすすげば終わりです。
 もちろん、シャワーでもいいですが、お湯のかけ方が顔に水がかかっている時間が少なくて済みます。びっくりして泣きだそうとした子どもも、手早くすすぎ、顔をタオルで拭けば、何が起こったのか理解しないうちに終わってしまいます。泣く暇もないはずです。「こうやって洗っていると、水にももぐれるようになるんだ」と目標を持たせることも大切です。水に対して恐怖を持たないように育てていくのが男の責任だと思うのです。

L     2000.10.20
 東京ではキンモクセイの香りが漂う季節となりました。いよいよ来年度の幼稚園の入園手続きが始まります。少子化の影響で各幼稚園は生き残りをかけて、さまざまな努力をしています。保育の内容を充実させることはいいことです。しかし「通園バス」「給食」「時間延長」といった母親に対する過剰サービスを看板に掲げての園児獲得には首をかしげざるを得ません。
 「通園バス」で20~30分の通園時間を短縮することは不必要です。そればかりか、通園途中での子供との会話や季節を肌で感じる機会を奪ってしまうことにもなるのです。閉ざされた園庭と園舎の中での保育がほとんどなのですから、行き帰りぐらいは、せめて徒歩や自転車で「キンモクセイがいいにおいね」などと、親子の会話を楽しみたいものです。
 「給食」小学校に入ればあるのですから、幼時から体験する必要はありません。保育所のように乳児がいて授乳や離乳食が必要な場合は別です。「今日はどんなお弁当かな」と、ふたを開けるときのうれしさを子供に味あわせてやりたいものです。たかだか2,3年の弁当作りです。そんなところを手抜きする子育てを女房にさせないでください。
 「時間延長」も問題です。幼児が集中して活動できる時間はそれほど長くありません。午後2時ごろまでです。小学校でも1,2年生の低学年の授業は2時ごろまでです。母親の大半が専業主婦である幼稚園での時間延長は、彼女たちの「自分だけの時間がほしい」というわがままでしかありません。
 手抜きをせず、子供と楽しい時間をいっぱい過ごす女房であってほしいなら、きちんとした幼稚園選びをしてください。「幼稚園のことは女房に任せてあるから」などという暴言は、男の責任を放棄しているのと同じです。

M     2000.10.27
 食欲の秋です。サンマがおいしい季節です。このごろの子供は魚を食べるのが下手だと言われています。刺身や切身は食べられるのですが「尾頭付き」「骨付き」の魚は苦手なようです。これは日々の食卓に焼き魚や煮魚があまり出なくなったからなのでしょう。
 しかし、魚を頭と骨だけ残し、きれいに食べる習慣を身につけさせることは大切なことです。行儀の良しあしだけではありません。人間のために生命をささげてくれた魚に対しての礼儀だと思うのです。
 そこで男の出番です。「今日は、すごいことをやるぞ」子供と買い物に出かけます。炭とサンマと大根を買いましょう。七輪があれば一番いいのですが、手に入らなければバーベキューコンロでも、金物のバケツでもかまいません。早速、火をおこしましょう。
 今は着火剤を売っていますから、とても簡単に火がつきます。「七輪」も「炭」も、ひょっとすると炭をおこすのに使う「うちわ」さえ、こどもにとっては初めて目にするものかもしれません。実物を見ることによって「炭」や「七輪」といった言葉も覚えます。
 炭をおこすのは庭でもベランダでも道端でもできます。子どもは何をするのか興味津々のはずです。うちわであおぐのを手伝わせ、網をのせ、さんまを焼きましょう。モクモクと上がる煙とサンマのにおいに子供は興奮し、目を輝かせるはずです。大根おろしは子供の仕事。自分で買い物し、調理を手伝うと、子供は自分で料理を作った気になります。子どもが自分で「炭」というものを使って焼いたサンマは、特別においしいと感じるはずです。
 夕食のとき、残さずに食べる方法を教えれば、きっと子供もマスターすることでしょう。「ねえ、今度の休みの日にも炭で何か焼こうよ」と言ってくるかもしれません。お父さんの株が上がることは間違いなしです。

N     2000.11.3
 今日は文化の日です。3連休が始まる方もたくさんいらっしゃることでしょう。この休日に、幼児や小学生を持つお父さん方に是非ともやってほしいことがあります。それは子供に渋柿(しぶがき)の味を体験させることです。散歩に出かけた先の遊歩道や公園の柿であれば、黙って採ってもかまわないと思います。他人の家の柿の場合は趣旨を話して1個分けてもらってください。
 なぜ渋柿を口にさせる必要があるのかというと、今の子供は「渋い」という味覚を全く体験することがないからです。「渋い」とか「苦い」という味覚は、今の日常的な食生活では体験できません。商品として買う柿に渋柿はありませんから、柿はすべて甘いものと思っています。ですから、子供は渋柿でもガブリとかじりつきます。口に入ったら、さあ大変。あの何とも言えないモワモワとする渋さを口中で実感することになります。味覚や臭覚を発達させることには大切なことなのです。
 数年前、修学旅行の昼の弁当で食中毒が起きた時のことです。いつもは人の倍も食べるわんぱくが「今日の弁当は変だから、俺は食わない」と弁当を捨ててしまいました。多数の小学生が入院し、数人の教師も手当てを受けたのですが、彼らだけは平気でした。日ごろから食べることに貪欲(どんよく)だった子だけが助かったのです。男としては、そんな子育てがしたいものです。
 柿だけではありません。秋にはいろいろな物が手に入ります。銀杏(ぎんなん)はポピュラーですが、シイの実もフライパンで炒(い)って食べるのもおいしいです。山芋を掘るのは難しいですが、むかごは簡単に採れます。自然の恵みを自分の手で採り、人類の昔の採取生活を考えてみるのも、秋の散歩では楽しいかもしれません。

O     2000.11.10
 日が暮れるのが早くなり、子供が家の中で過ごす時間が多くなってきました。「家で、どんな遊びをさせたらいいのですか」「2~3歳の子供には、どんなおもちゃがいいのですか」と、よく聞かれます。
 1980年代の前半には「テレビに子守りをさせないで」という本が話題になり、テレビ漬けの子育ての弊害が叫ばれました。2000年の現在、もっと大きな声でその弊害を叫ばなければならなくなりました。テレビだけではなく、ビデオが普及し、コンピューターゲームまで入ってきました。「好きなビデオを見せていれば静かだから」と、アニメや「知能開発用?ビデオ」を2~3時間も見せられている幼児も存在します。また、コンピューターゲーム漬けになっている小・中学生も多数います。テレビやビデオの情報・刺激は一方通行です。子どもはその刺激を視覚と聴覚で受け止めるだけです。刺激が強すぎれば、数年前のポケモン事件のように入院騒ぎにまでなるのです。また、受動的な刺激だけが多数送り込まれると、人間は創造性や自発性が損なわれてきます。新興宗教のマインドコントロールは、その極端な例です。
 そんな子供にしないために、テレビやビデオは最小限の時間だけ見せるようにしましょう。親が一緒に遊ぶのが一番いいのですが、いつも、そういう風にはいきません。そんなとき、ひとりで遊べて、子供自身の創造性が養われるおもちゃと言えば、代表は積み木です。昔からの木製のものや50音積み木は、今でも人気があります。レゴとかブロックと呼ばれるプラスチック製のものは、複雑な形もできるので、小学生でも楽しむことができます。お土産を買う時も、ビデオだけは買わないという父親になってほしいものです。

P     2000.11.17
 文化の日に、私が「心の教室相談員」として勤務している中学で学芸作品発表会がありました。美術や技術家庭の作品、俳句、書道などの展示と、クラス対抗の合唱コンクールが行われました。祝日なので、たくさんの親が来ていましたが、父親はたった数十人。56年前には30人以上の父親が見に来ていたのに、とっても不思議な気がしました。
 「お父さんは来ないでね」「おやじ、来るなよ」などと言われているのでしょうか?
 たとえそう言われたとしても、家以外での子供の姿を見る機会の少ない父親としては、見に行くべきです。幼稚園や小学校の時はカメラやビデオを手に運動会や学芸会を見に行ったのですから。子どもが大きくなれば、手はかからなくなりますが、その分、目と心をかけなければなりません。
 翌4日には三男が通学する高校で、2年生の親を対象とした進路説明会がありました。200人以上の親が来ていましたが、ここでも男子校であるにもかかわらず、父親の出席は私を含めてたった数人。二男も同じ高校でしたが、7年前には、出席者の3割は父親でした。私たち団塊の世代の男たちは、何事にもすぐに首を突っ込みたがる傾向があったからでしょうか。何かがあれば、すぐ「おやじ」が出て行ったものです。若い父親たちはシャイなのでしょうか。それとも「子育ては女の仕事」などと考えているのでしょうか。
 愛知県でわが子を縛って死なせたせっかん事件でも、父親は「教育はすべて妻に任せていた」と語り、地検にも「暴行に積極的に関与していない」と父親を処分保留で釈放したとか。しかし、父親としての責任は当然問われるべきものです。男はもっと子育てに関与し、自分の子供をよく知り、生き方を教えるべきです。

Q     2000.11.24
 18日に東京都庁で行われた「トライ&チャレンジ体験発表会」に参加しました。東京の小、中学校で実践された体験学習がいろいろ発表され、そのさまざまな試みに感心しました。小学生がお年寄りから民謡やお手玉を習ったり、一緒に花の栽培を通してふれあいを深め、いろいろなことを学んだようです。
 中学生は先生、父母、生徒が一体となったスポーツ大会を企画したり、森林の下草刈りをしたりして(東京でも日ノ出町では林業がまだ存在する)普段の学習では得られないことを身にしみて体験したようです。
 その前日、私が「心の教室相談員」として勤務する中学校でも、2年生が職場体験をしました。数週間前から事前指導が行われ、あいさつの仕方や言葉遣いなどが徹底的に訓練されました。美容室、楽器店、銭湯、青果店、などで様々な職業を体験したようです。
 私の「あそびの会」にも5人の中学生が来ました。あいにくの雨で、遠足は中止になりましたが、狭い保育室で幼児を相手に頑張りました。5人はそれぞれ自分の持ち味を発揮し、子供たちと一生懸命遊んでくれました。
 2002年の教育改革を前にいろいろな試みが始まっているようです。教室という狭い空間にとらわれず、地域との連携の中で学習する機会が増えてくることは、とてもいいことだと思います。
 しかし、よく考えれば、体験は日々の生活の中でも、たくさんできるはずです。小、中学生を持つ親は「勉強しろ」と言う代りに「もっといろいろなことを体験したら」と言うべきです。自然体験はもちろん、食事作りや掃除、洗濯といった家事労働をさせてみるのも大切です。子どもをお客様扱いしないでほしいものです。お手伝いをたくさんさせる「うるさいおやじ」に変身しましょう。

R     2000.12.1
 全国の児童相談所に寄せられた虐待の相談件数が昨年は一万件を超えたと厚生省が発表しました。虐待を受けた子供の約5割は0歳から就学前の乳幼児だといいます。この数は氷山の一角だという人もいます。核家族で子育て中の母親は孤立し、不安やイライラから、虐待自体が増えているとの見方をする人も多数います。虐待とは言えないまでも、つい手が出てしまい、また、手を出してしまったことに悩んでいる母親がたくさんいます。私のところにも、そんな悩みを訴える手紙がきます。
 「子育てにつまづいています。いろいろあるけど、とにかく毎日怒ってばかり。言う事をきかないとイライラするし、手をあげてしまう始末。(略)たたかないようにと思っていても、顔は叩いてないけれど、頭やお尻はバンバン。(略)今の私の子育てはよくないです。わかってはいるんだけど。でも、どうしたらいいのかがわからなくて。『子育ては忍耐』と言うけど、忍耐が足りないのかな(略)」
 乳幼児と一日中過ごしている母親は本当に大変です。一人っ子ではなく兄弟姉妹いれば戦争です。美容院にも行けないし、ウインドーショッピングもできない毎日です。自分だけの時間がないということは、気分転換ができず、とってもつらいことです。
 男の出番です。かわいい女房のために、休日の34時間は育児に専念しましょう。「俺が子供を見てるから半日好きなことして来いよ」と女房に自由時間をあげましょう。自由な時間を過ごし、気分転換ができれば、虐待なども少なくなるはずです。そんな実感をもとに、女房の愚痴を聞き、対話することが乳幼児を持つ男の責任だと思います。

S     2000.12.8
 中学校では2学期の期末テストも終わり、3年生の高校進学のための生徒、担任、親の3者面談が始まりました。子どもは現実の成績、高校生活へのあこがれ、入学試験に対する不安などが入り混じり、精神的に不安定になったり、プレッシャーに押しつぶされ、無気力になったりします。
 母親はそんな子供の姿を見ると「もっと勉強しなさいと言ったでしょ」とグチが出てしまったり、「今からでも頑張れるわよ」と、激励というよりは命令に近い言葉を吐いたりしてしまいます。「お父さんからも、もっと勉強するように言ってもらわなければ」と女房の矛先は男親にも。そんな時、男親は無視したり逃げてはいけません。子どもと女房のごちゃごちゃに巻き込まれることなく、人生の生き方を教えなければなりません。
 高校は義務教育ではありません。赤点や単位不足での留年もあります。中途退学する子供もたくさんいます。大切なのは、きちんと卒業させることです。そのためには子供の実力より高いランクの高校は避けるべきでしょう。
 普通に勉強し、部活動をやり、たくさん友人を作って卒業できる高校が理想です。高校生活を楽しむことは、青春真っ只中の子供にとって、大切なことだと思います。普通科へ進む子どもが大半ですが、大学に進学しない子供でしたら、商業、工業などの職業科に進むのもよいと思います。簿記とそろばんの商業科などというのは昔の話です。パソコンやワープロ、商業英語とカリキュラムも専門学校のように豊富です。
 子供の人生は子供自身に決定権があります。子ども自身が自分の生き方を決められるように、情報、考え方などをアドバイスし、話し合いをしていくのが男親の責務だと思います。

21 2000.12.15
寒くなりました。暗くなるのも早くなりました。何となく気ぜわしく感じる師走ですが、晴れた夜に子供とゆったりと散歩するのはいかがですか。寒いですから、風邪をひかないように、ちょっぴり厚着をして出かけましょう。冬は星がよく見えます。ほぼ真上にカシオペア座が輝いています。「あのWの形をしたのがカシオペア座。あっちに明るく3つ並んでいるのがオリオン座の真ん中だよ」と冬の星座を説明してあげるのもいいですね。親子で夜空の星を眺める経験など、なかなかできるものではありません。
 星を見るのに飽きたら、クリスマスのイルミネーションを見に行きましょう。このごろは普通の家でも、きれいに飾ってある場所がたくさんあります。それを見て歩くのもいいでしょう。ちょっと遠出をして、きれいに電飾された街や、夜景を見物するのも子供たちは喜びます。めったにない夜の親子の外出ですから、たくさん話しかけましょう。「嫌いなことはない?」「大きくなったら何したい?」とか。子どもが小さければ「サンタさんに何頼む?」と聞くのもいいでしょう。周りが暗い分、話に集中でき、子供の心がよく見えてくるはずです。父親として一年の反省をしゃべるのもいいことです。「今年は忙しくて、キミとあまり遊べなくてごめん。でも、お父さんはもっとキミと一緒にいる時間がほしいんだ。来年は努力するから、キミも付き合ってくれよ」と。
 帰宅したら、冷えた体を温めるために、お風呂に入りましょう。子どもと一緒に入浴できるのは、ほんのちょっとの間です。裸の付き合いも大切です。1221日は冬至です。自宅の風呂に、ゆずを入れて、ゆず湯にしましょう。昔からの伝統を子供に受け継いでいくのも、父親の役割です。

22 2000.12.22
あと10日ほどで今年も終わりです。いつもの年末と変わりないのですが、20世紀が終わり21世紀が始まるというので、世の中全体がなんとなく区切りをつけたがっているような気がします。
 今世紀末の悪い風潮(乳幼児に対する虐待、「17歳」の暴走、登校拒否や中途退学の増大、子育てに悩んだ母親の犯罪など)に区切りをつけて明るい新世紀を夢見たいのですが、そうはなりそうもありません。
 区切りがつけられず、終わることなく日々繰り返さなければならないのが「子育て」と家事労働です。大切なことだとわかってはいても、その大変さにむなしさを感じるのも事実です。日ごろ「ここを整理したいな」「網戸を洗いたいな」「窓も拭かなくちゃ」などと思っていながら、毎日の買い物や調理、洗濯、掃除と子育てで手のつけられない母親に代わって、子供と一緒に大掃除をしませんか。
 幸い、2324日は連休です。子供とおやじのハウスクリーニング屋の開店です。網戸を外し、タワシで流します。換気扇やガス台もきれいにしましょう。日ごろからやったことのないことですから、子供は興味を持ち、手伝い始めるはずです。
 高いまでのガラスをふくとき、子供に脚立を押さえさせましょう。「おい、ちゃんと押さえないと、お父さんが落ちてけがをするからな」と声をかければ、子供は仕事には責任があることを自然と学びます。「自分の部屋や本箱、おもちゃ箱は自分で掃除するんだぞ」と付け加えるのも忘れずに。終わった後に「きみのおかげで、とてもきれいになったね」とほめることも大切です。
 子育てや家事労働には区切りは付けられませんが、一年の終わりに大掃除をし「いよいよ21世紀だ」と、気持ちだけは区切りをつけたいものです。


23 2000.12.29

 あと3日で今年も終わりです。神棚の掃除は終わりましたか?仏壇はきれいになりましたか?東京では「一夜飾り」が嫌われるので、今日、明日中に正月飾りを終えましょう。
 元日の雑煮が各地で違うように正月の迎え方も様々です。一年に一回の儀式です。父から子へ、きちんと伝えていきたいものです。東京では三方(さんぽう)の上に裏白(うらじろ)と譲り葉(ゆずりは)を載せ、その上に鏡餅を置き、橙(だいだい)を飾ります。門松を立て、輪飾りをつけます。子どもが普段、目にしないものばかりです。一つ一つ名前を教えてあげることが大切です。そんなちょっとしたことが伝統を守り、日本文化をつくっていくことになるのです。
 御節(おせち)料理も地域によってさまざまです。全部の品を家で手づくくりするのは手間がかかりすぎるので、スーパーなどで買う家が増えていますが、せめて1〜2品は親子で作りたいものです。野菜の皮をむいたり、切ったりするのを、子供に手伝わせましょう。日常の買い物や調理、おぜん立て、食器洗いなどに子供を参加させてほしいと、訴え続けていますが、なかなかできにくいようです。せめて、年末ぐらい、子供を働かせて下さい。
 「働く」ということは「はたを楽にすること」。子どもが自分の所属する社会、つまり家庭や地域に自分の存在意義を見つけることにつながっていきます。自分が社会の中で役に立っていると感じることができれば、反社会的な行動に出ることはありません。子どもはペットではありません。かわいがることは大切ですが、年齢に合った仕事をさせましょう。それが父親の役目であり子育てです。

24 2001.1.5
新年おめでとうございます。「一年の計は元旦(たん)にあり」といわれます。21世紀初の「こんな子育て、男の責任」ですので、子育ての原則と大切さを書きます。
 人は社会的な動物だと言われます。しかし、社会生活をしていくのに欠かせない資質や能力は生まれながらに備わってはいないのです。赤ちゃんは生まれた時から環境に働きかけ学んでいくのです。いえ、現在の科学では胎児期から学習が始まっていると考えられています。妊娠中のアルコール・たばこ・薬物などは脳の健全な成長を阻むことになります。妊娠がわかった時から子育ては始まるのです。
 生まれてきた赤ちゃんが最初に出会う環境は「家庭」です。つまり、お父さんとお母さんです。両親がどれだけたくさん赤ちゃんに働きかけをし、赤ちゃんからの働きかけにきちんと応えられるかにかかっているのです。男が「仕事だ」「子育ては女の領分」「忙しい」などと言い、赤ちゃんとかかわらなければ、いい成長は望めません。また、父親が母親と同じように事細かに、女々しく対応していくのも感心しません。
 男が責任を持って進めていく子育てには、3つの大切なことがあります。第1は、どんなときにも子供の生命を守ること。危険が及ばないように室内を整備したり、火や車から身を守るすべを教えることです。第2は、子供と体を使った遊びをすること。肩車・お馬さん・おすもうなどが基本です。大きくなったら、キャッチボールや散歩。一緒に入浴することも。第3は様々な体験をさせること。特に買い物・調理・掃除などの家事労働を手伝わせることや自然体験が必要です。
 今年も子育てを楽しみながら、自分自身も父親として成長していきたいものです。

25 2001.1.12
正月休みは子供たちとたくさん遊べましたか。昔は正月の遊びといえば、はねつきやたこ揚げ、こま回しと歌にも歌われていました。はねつきはバドミントンに、やっこだこや字ダコはゲイラカイトと呼ばれる洋ダコに変わりましたが、正月休みの公園で遊んでいる親子に出会いました。
 こま回しは人気がないようですが、手先の訓練には、とてもいい遊びです。「あそびの会」では、子供たちにクリスマスプレゼントにこまを配りました。56歳の子供たちは口を「へ」の字に曲げて、左手でコマを持ち、右手でひもを巻いています。ひもを巻く力加減が難しいのです。やっと巻けても、投げ方が下手だとこまは回りません。
 3日ほど必死に練習すると、こまは回るようになります。そして上手に回った時の子供の顔はとても自慢げです。技術を習得するために練習を要するあそびのこま回しや縄跳び、自転車乗りなどを幼児期や小学校の低学年時代に覚えることはとても大切なことです。父親が手本を示し、励ましながら練習させることによって「お父さんはすごい」と子供は思うのです。子どもにとって、父親はいつでもスーパーマンでなければいけません。
 正月の室内の遊びといえば、すごろくやかるたが代表的なものでした。幼児はサイコロで「数」を覚え、かるたで「ひらがな」を覚えました。このように伝統的な遊びの中には、子供が育っていくのに必要な技術の習得や教育的な要素が内包されています。コンピューターゲームや「遊戯王カード」だけではなく、メンコやビー玉、おはじき、お手玉など伝統的ながん具でも遊びたいものです。
 コンピューターゲームでは負けてしまう父親でも、剣玉やヨーヨーではヒーローになれるはずです。おやじはいつも、子供のあこがれであり続けたいものです。

26 2001.1.19
寒い日々が続きます。前回に続き、冬の夜の過ごし方です。ほとんどの家庭では、テレビを見るか、コンピューターゲームを楽しんでいることと思います。
 会話はあっても、視線の先にはテレビの画面。相手の顔を見て話すことは少ないのでは。子どものことを理解しようとするなら、目と目を合わせて話をしなければいけません。子どもと一緒にいる時間が少ない父親にとって、、子供との触れ合いの時をテレビの画面に奪われてしまうのは損失です。さあ、テレビを消して一緒に遊びましょう。
 まずはトランプ。小さい子でもできるのは「ババヌキ」。数がわかるようになったら「7並べ」「スピード」。駆け引きの面白さを教えるなら「7並べ」「大貧民」。もちろん中学生になったら「ポーカー」や「ブリッジ」を楽しむこともできます。ついでに「カード占い」や「ひとり遊び」も教えてしまいましょう。
 続いて、将棋。はじめは「はさみ将棋」や「ドロボウ将棋」からがいいでしょう。「まわり将棋」は中学生でも楽しいようです。私が週3日通う中学校のリラックスルームでは、7時間もやり続けた子たちがいます。もちろん一番楽しいのは「本将棋」。子ども用の入門書も出ています。油断すると子供に負けますぞ。
 碁は難しく、時間もかかりますが「五目並べ」なら簡単にできます。「オセロ」や「人生ゲーム」も手軽に家族で楽しめます。花札や麻雀も日本の文化ですから、大人になるまでには覚えてほしいものです。
 こうしたゲームを通して「いじわる」「ひっかけ」「わな」などがあることを教えていくことも、男としての責任だと思います。「運」や「どんでん返し」も世の中にはあるのだと知ることは大切なことでしょう。冬の夜は長いです。子どもと一緒にゲームを楽しみましょう。

27 2001.1.26
先週、日本海側では大雪が降りました。その最中に「あそびの会」の幼児たちは、長野県の戸隠村で23日の雪遊び合宿をしました。1b近い雪の中で、ソリ遊びをしたり、山の中を歩いたりと、体中で雪を楽しみました。1時間に10aも積るような降りの中でも、子供たちは寒さを感じないのか、よく遊んでいました。
 「あそびの会」の日常の保育は近隣の公園で遊ぶことが多いのですが、冬になり、公園から乳児を遊ばせる母親たちが消えてしまいました。ほとんどの公園や児童遊園がガラガラです。母親が寒いから外に出さないのでしょう。しかし、乳幼児の発達には、外気浴や戸外での遊びが必要不可欠です。日本より寒いフィンランドの保育園では、真冬の寒い日でも乳児の昼寝は防寒着を着せて、乳母車の中で、戸外でさせるそうです。
 戸隠村の保育園の子供たちも、雪の中でソリ遊びをしていました。札幌では、雪の北海道大学の構内を保育園の子供たちが散歩していました。保育園では子供たちの発達を考えて、保育士と呼ばれるプロが一生懸命考えて子育てをしています。母親たちもプロに負けないような子育てをしましょう。
 先日、ガラガラの公園で頑張っているお母さんに会いました。1歳10か月の女の子を連れて午前中ずっと遊んでいました。小さい女の子は「あそびの会」のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちがやることをまねしたり、しゃべりかけてきたりしていました。あまり、おしゃべりが上手なので、どんな子育てをしているのか聞いてみました。「毎日、午前中公園で遊ばせているだけです」とのこと。公園でのお年寄りや犬の散歩のおじさんとの交流が良い刺激になっているのだと思います。
 外は子供がたくさんの人と出会う場です。寒くても外へ連れ出すことを頑張りたいものです。

28 2001.2.2
3
日は節分です。節分の由来は、大寒から立春に移る節目に、厳しい冬を鬼に、春を福にたとえ「鬼は外。福は内」と唱える、春を待つ民衆の心と表した行事だと言われています。
 全国各地で節分にちなむ行事は、たくさんあると思います。東京では軒下にヒイラギと豆殻を下げ、打ち豆をまきます。昔は節分の晩は家々から「鬼は外。福は内」の声が聞こえたものです。我が家では毎年、3人の息子たちに大きな声で叫ばなければ効果がないと、大声で「鬼は外。福は内」と強制しています。もちろん私も大声で叫びます。父親として伝統を守ることは大切なことです。子どもたちと一緒に豆をまき「鬼は外。福は内」と叫びましょう。
 あそびの会では、鬼は心の中に住んでいるものだと幼児に教えます。なまけ鬼、イタズラ鬼、泣き虫鬼、好き嫌い鬼などを追い出していい子になるために豆まきをするのです。一年の終わりの年末にできなかった反省をし、新しい春を迎えるには、ちょうどいい機会ではないでしょうか。
 学年末を迎え、4月からの進級・進学に夢を持っている子供にとって、自分にとっての弱点=鬼とは何なのかを見つめるのは大切なことです。大声でその鬼を追い出すことで、子供の気分は晴れ晴れとすることでしょう。日ごろ「大声で騒ぐな」「静かにしなさい」と注意されている子供たちが、大声でどなれる日です。思いきり叫ばせてあげたいものです。
 しかし、今、心の中の鬼を追い出す必要があるのは、子供ではなく大人ではないでしょうか。KSDや外務省の金銭感覚もそうですが、乳幼児の虐待の多さもひどいものです。子供に八つ当たりをしていないか、すぐ手をあげていないか、自分の中の鬼を見つめ、追い出したいものです。

29 2001.2.9
立春が過ぎたというのに、まだ、寒い日が続いています。しかし、あと2ヶ月で4月です。そろそろ入園、入学の準備を始めましょう。
 
まずは着替えの練習です。3さいのこどもにとって、Tシャツやトレーナーのように前が開かないで、頭からかぶる服を着ることができても、脱ぐのは難しいものです。
 そんな服の脱ぎ方を覚えるのは、寒い季節の今がチャンスです。来ている服のほとんどが長袖だからです。長袖は半そでにくらべ、子供にとっては脱ぎやすいのです。片手で反対側の袖口をつかんで引っ張ると腕の部分が脱げるからです。
 幼児の毎日の着替えは時間がかかります。朝の忙しい時など、手助けをしてしまいがちですが、そこをじっと我慢して、子供自身にやらせることが必要です。小学校1年生の担任教師も、こんな話をしていました。「1学期の初めは、体育の授業がほとんどできません。体操着に着替えるのに15分もかかってしまうから、45分の授業時間で体育ができるのは正味15分だけです。保育園出身の子供たちは、手早くやれるけれど、幼稚園から来た子は家でも親が手伝っているみたいです」
 保育園では毎日昼寝があるので、そのたびに着替えをしているから出来るのでしょう。毎日の積み重ねが重要なのです。着替えというのは服の着脱ができるだけでは不十分です。体を動かして遊び、「暑い」と感じたら服を脱ぎ、「寒い」と感じたら服を着ることができるようになることが必要です。
 朝は寒かったのに午後になり暖かくなった日に、ジャンパーを着たまま汗をかきかき帰ってくる小学生を見ると「暑いんじゃないか。暑かったら、自分で脱ぐんだよ」と声をかけます。寒暖を感じ、それに合わせて服を着脱できる子にしていくのは、親の責任だと思います。

30 2001.2.16
遊歩道を歩いていると梅の香りが漂ってくる季節となりました。あそびの会の子供たちは「梅の小枝で、うぐいすが、春が来たよ」と歌います。「ホッホ、ホケキョ、ホーホケキョ」と覚えたばかりの歌を口ずさんでいます。「おばあちゃんも、この歌、知ってたよ」と報告してくる子もいます。新しい歌もいいですが、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に歌える歌も残していきたいものです。
 わらべ唄や遊び歌が少なくなっている中で、日本テレビ系の「伊東家の食卓」が面白い遊びを提案してくれていました。その名は「あんどこ」。まりつき歌だった「あんたがたどこさ、肥後さ、肥後どこさ、熊本さ、熊本どこさ、船場さ、船場山には狸(たぬき)がおってさ、それを漁師が鉄砲で打ってさ、それを木の葉で、ちょっと、おっかぶせ」という歌での遊びです。
 床に漢字の「田」を書いて、両足をそろえて横跳びをし「さ」のときだけ前に飛ぶというものです。簡単なようですが、リズム感と体力が必要とされます。2人や4人で行うにはチームワークも要求されます。「伊東家の食卓」で紹介されてから、小学校や中学校でも流行しています。「うちでも孫に一緒にやろうって誘われて大変よ」と若いおばあちゃんからの報告もありました。久しぶりに体を動かして遊ぶことがはやりそうです。
 昔は「Sカン」「馬とび」「石けり」など、集団で体を使って遊ぶことがたくさんあり、その中で協調性や思いやりが育っていったのですが、現在は無理なようです。せめて、家族で「あんどこ」でもやって楽しんでほしいものです。もちろん、子供に馬鹿にされないように父親としてひそかに練習することも大切です。男として「あんどこ」をマスターすることが今週の宿題です。

31 2001.2.23
今日は手先の訓練の話です。子どもの発達は身幹から末端へと発達していきます。ですから、体全体を使った運動(歩く、走る、遊ぶなど)が、とても大切です。しかし、それと同時に手先を使う訓練も必要です。
 昔は日常的な暮らしの中に手先を使う作業がたくさんありました。着替えをするにはスナップや小さい貝ボタンをはめなければなりませんでした。歯磨きのチューブのふたも小さく、ネジになっていました。靴も面ファスナーではなく、紐を結ぶのが普通でした。子どももそうした環境の中で、知らず知らずのうちに手先が訓練されていたのです。
しかし、今は、あえてそのような作業をつくってあげる必要がありそうです、「あそびの会」では、4歳になったら、弁当は大きめのハンカチに包むことになっています。初めのうちはなかなか結べませんが「両端を持って、バツを作って、片一方をくぐらせると結べるよ、それを2回やるんだ」と教えていくと、10日ほどで結べます。弁当もおにぎりでなく、普通のご飯にしてハシで食べるように指導します。コマのひもを巻いたり、ビーズに糸を通してネックレスを作ったりと、遊びの中でも手先の訓練を入れています。
小学生でも鉢巻きが結べなかったり、ぞうきんが絞れない子が増えています。手先の訓練は短時間で出来るものではありません。また、学校で教えてもらうものでもありません。卵を割る。キヌサヤのスジを取る。空豆のさやをむくなどの調理の手伝いや、洗濯バサミで洗濯物を干すというようなことで指先に力が入るようになるのです。こまごまとした家事労働の中で、子供ができそうな事を探し、継続的にやらせることが手先の訓練になっていくのです。各家庭で様々な工夫をしてあげることが親の責任だと思います。

32 2001.3.2
明日3日は桃の節句、ひな祭りです。ひな人形や道具類などを飾りひしもち、ひなあられ、白酒などをお供えします。我が家は男の子ばかりなので、ひな人形はありませんが、あそびの会では子供たちの学習のために段飾りをします。
 少子化に核家族、そのうえ、都会の住宅事情のせいで、普段の家では段飾りなど無理です。しかし、ひな飾りを見たことがなければ「ひなまつり」の歌に出てくる、雪洞(ぼんぼり)も金の屏風(びょうぶ)も官女(かんじょ)も分かりません。駕籠(かご)や牛車(ぎっしゃ)といった昔の乗り物を知ることもできません。小学校の高学年や中学校で歴史を学ぶ時になって、そのような言葉が出てきてもミニチュアさえ見たことがなければ、イメージすることもできないのです。明日か明後日、博物館やデパートに連れて行って雛段飾りを子供に見せて、解説してあげてください。それも子供に対する責任です。
 ひな飾りの日の我が家の夕食は、ちらしずしと貝のおつゆと決まっています。女房のお袋が亡くなるまで「お祝いだから」と言って作っていたのを女房が引き継いでいるからです。ニンジン、ゴボウ、ハス、シイタケ、インゲン、かんぴょう、あげなどの野菜ずしの上に金糸たまごとノリをかけます。その上に、マグロやイカなどをのせて出来上がり。春の花畑のように、にぎやかなおすしです。食卓についた息子たちは「おばあちゃんのおすしだ」と喜び、十三回忌も済んだのに、祖父母の話に花が咲きます。
 明日は長男の嫁さんが女房と一緒に、ちらしずしを作りにやってきます。親から子へ、子から孫へと、一つのことが伝わっていくことは楽しいものです。そういった小さなことの積み重ねが伝統となり、日本の文化となっていくのだと感じています。

33 2001.3.9
だんだん春めいてきました。14日のホワイトデー。214日のお返しの意味があるそうです。
 
主婦の欲しい物ランキングの1位はなんだか知っていますか?バッグ、指輪、洋服、財布といった高価なものではありません。お菓子、花、食事といった手頃な品物でもないのです。フラワ主婦生活総合研究所の調査によると「自由な時間」だそうです。
 ちょっとの時間、子供から解放されたい、映画でも見てみたい、ぶらりとウィンドーショッピングがしたいといったことのようです。「ホワイトデーの贈り物の代わりに、今度の休みは俺が子供を見ててやるから一日ぶらっとして来いよ」と女房に言ってみてはいかがでしょう。きっと、大喜びするはずです。
 さて、日曜日は女房を送り出した後、子供と散歩がてら昼食の買い出しです。スーパーで、小麦粉とキャベツと卵と青のりを買いましょう。昼飯はおやじと子供で作るお好み焼きです。豚肉やイカなどの具も忘れないでください。子どもに包丁を持たせ、キャベツを刻ませます。不ぞろいでも、ちょっぴり切り傷を作っても気にしない。
 大切なのはおやじと子供の共同作業なのです。ホットプレートを出して、油を敷いて、お好み焼屋の開店です。おなかがいっぱいになったら、ゲームをしてもいいし、テレビや昼寝でもOK3時になったら「銭湯に行くぞ」。大きなふろにゆっくり入り、湯上りにジュースか牛乳を買ってやれば、子供は大満足。「お父さん、今日は面白かったね」と必ず言うはずです。
 そろそろ女房もご機嫌で帰ってくる頃です。安上がりで女房にも子供にも喜ばれる。そんな一日をホワイトデーの贈り物にしてはいかがでしょうか。きっと低迷していた父親株も上がると思います。

34 2001.3.16
各地で高校の卒業式が行われています。大学、専門学校へ進学する子もいますし、4月から新社会人となって働く子もいます。アパートや寮で暮らし始める子も多いことと思います。送り出す父親も母親もとても心配だと思います。
 40年ほど前は中学校を卒業したばかりの15歳の子供を集団就職列車で都会に送り出した親もたくさんいたのです。そのころに比べれば、交通も通信手段も発達したので、少しは安心できるかもしれません。しかし、怖いオヤジや口うるさく小言をいうお袋がそばにいないと、子供はとかくルーズになりがちです。自立への第一歩の一人暮らしが悲劇にならないように、出発前にきっちりと意見するのは男親の責任だと思います。
 「食事、掃除、洗濯はもちろん、帰宅時間や友達づきあい、金銭の管理なども自宅にいた時と同じようにしてほしい。いつでも、どんな時でも親に見せて恥ずかしくない生活でなければならない。ルーズな生活をしていると精神までルーズになるのだから。そんなルーズな精神を狙って「カルト宗教やマルチ商法は平気だ」などと思っていても、敵はもっと巧妙なんだから。信頼しているから、自分の目標に向かって頑張れ。困ったことがあったらすぐに連絡しろ。親に遠慮はいらん」と。
 照れくさくても、子供に面と向かって意見することが大切です。言われた子どもも、おやじは自分のことがとても心配なのだとわかります。細かいことは母親に任せておいていいのですが、一人暮らしなどを始める大切な節目には、大人として、親として、人の生き方や生活の仕方をしっかり伝授するのは男の役割だと思います。心配を安心に変えられる親子関係でありたいものです。

35 2001.3.23
きょう23日は終業式です。子どもたちが通信簿をもらって帰ってきます。小学校は絶対評価、中学校は相対評価のところが多いようですが、通信簿を見て、子供になんと言うか、今日はそんな話をしようと思います。
 子供たちは、親に何を言われるかドキドキしながら帰ってくるはずです。母親は通信簿の強化のところに目が行きがちです。そして「毎日、きちんと勉強しないからダメなのよ」とか「テレビばっかり見ているからでしょ。もっと頑張らなくちゃ」などと小言を言っているはずです。ひょっとすると「お父さんからも、もっと勉強するように言ってくださいね」などと注文されることもあるでしょう。
 しかし、父親が母親と同じように小言を言っても仕方ありません。父親には父親の言い方があるのです。まずは裏を見ましょう。今回は学年末なので、修了賞に印が押してあります。それを声に出して読んであげてください。そして「○年生は終了したんだ。おめでとう。よかったね」と言ってあげましょう。おもむろに内を開いたら、まずは出欠の記録を見ます。欠席がなければ褒め、病気で休んだ日があれば、そのときのことを問題にしましょう。次に担任の所見を読みます。たいていの子供の長所も書いてあるので「先生も『物事にしっかり取り組む姿勢はある』って書いてあるぞ。よかったな」と言ってあげてください。
 子供は、大人もそうですが認められることはうれしいものです。いよいよ学習の記録です。評価の良かった教科は「頑張ったな」と褒めます。悪かった教科は「もう少し頑張ってほしいとお父さんは思う」と、父親自身の願いとして伝えるとよいと思います。欠点を指摘されるより、親の願いとして伝達される方が、子供には励みになるのです。こんな方法はいかがでしょうか。

36 2001.3.30
3
月もあすで終わり。いよいよ新学期です。新入園・新入学の子供を持つご両親は、期待と不安の中準備に忙しいことでしょう。
 近くに住む筆者の長男のところでも、嫁さんが育児休業を終え、勤務に復帰することになり、孫の保育園入園の準備に大忙しです。「布団カバーや着替え入れの袋を作らなくてはいけないんですって」と女房に相談というよりは、手伝いを求めて嫁さんがやってきます。
 女房もかわいい孫のため喜んで手伝っています。私も「洋服や持ち物全部に大きく名前を書いておくんだよ。大きく、よく見えるところに書かないと保母さんが困るんだから」とアドバイスします。
 子育ては手がかかり大変なことなのです。母親が密室で子育てをしていると、イライラが大きくなり、極端な場合は虐待にまで進んでしまいます。父親の参加はもちろんのこと、祖父母や近所に住む人々の手助けが大切です。
 少子化の時代に入り、どんどん子供が少なくなっています。しかし、21世紀を担うのは、今の子供たちです。社会全体で大事に育てていきたいと思います。そのために、男の果たす役割はいっぱいあります。
 直接、子育てに参加することができない独身男性でも、少年野球や少年サッカーの指導者として子供と関わることはできます。「頑固おやじ」や「口うるさいジジイ」も子供には必要です。公園で日向ぼっこしながら、ニコニコしている好々爺(や)の「お母さんは大変だね」などという一言が、イライラしている母親の気分を変えることもあります。
 いろいろな場面で子供の成長に男は不可欠です。自信を持って子供とかかわっていきましょう。
 今回で「こんな子育て、男の責任」は終了します。来月からは「遊び」をテーマに再登場します。


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